関ヶ原 上巻

作者

司馬 遼太郎

出版社

新潮文庫

読後メモ

僕は学生時代世界史を選択していて、日本史を全く知らないので、まずは日本の天下分け目、関ヶ原の戦いの知識を仕入れようと思います。

 

関ヶ原の戦いは東軍徳川家康と西軍石田三成の対立であったことは日本史を知らない僕でも知っています。この「関ヶ原 上巻」では徳川家康石田三成の対立が深まっていく様子が描かれれています。ま、昨年の大河ドラマで家康は何となく弱々しく優しい人物として描かれていますが、実際は豊臣秀吉の死後、自分の天下とするために好き勝手し放題だったようですね。生真面目な石田三成はそれに我慢ができなかったようでうす。負け組に似てると思うのも気が引けますが、なんとなく僕自身は生真面目なので石田三成に似ているような気がしています。

 

さて、石田三成が負けたのは、徳川家康が強かったというだけではなく、石田三成のような豊臣秀吉子飼いの武将たちの中にも対立があって「分断」があったことが起因しているように思われます。石田三成のような文官派と加藤清正福島正則のような武闘派が対立していたのです。このような内部分裂が無ければ徳川幕府の江戸時代は無く、日本の首都も大阪のままだったのは無いでしょうか。

 

さて文官派は石田三成だけではありません。五奉行と呼ばれる行政官がいて、これが三成派だったようです。五奉行は以下の5人です。

これには面白い語呂合わせがあって、「夏の前、浅野は医師になりました」と覚えるのだそうです。というわけで、上記はこの語呂合わせに順番に記載しています。

 

一方、豊臣政権のもとには、秀吉子飼いではない、言ってみれば外様の大名もたくさんいました。これらが秀吉の座を虎視眈々と狙っているわけですから、秀吉も苦心の末に五大老という仕組みを考えたようです。この「五奉行五大老」の合議により政治を行うことで、豊臣政権を維持しようと考えたわけです。その五大老とは以下の5人です。

なお、当初上杉景勝ではなく、小早川隆景がメンバーだったそうですが、その死去に伴い上杉景勝に代わったのだそうです。これまた面白い語呂合わせがあって、「ウキウキ上杉、もう、家の前」と覚えるのだそうです。

 

なお、以上の語呂合わせは以下のサイトから引用させていただきました。

http://tps://nihonsi-jiten.com/gotairou-gobugyou-how-to-remember/

 

五大老の合議制なら家康が好き勝手出来るわけないじゃないかと思われますが、家康が好き勝手できるようになったのには一つの要因があります。五大老のうち家康と並んで力を持っていた前田利家が亡くなってしまったのです。そして、家康はこともあろうに前田利家の奥さんお松様を江戸に人質として送ってしまったのです。

 

という家康の横暴で上巻は終わっています。中巻をおたのしみに。